TVアニメ「絶対に働きたくない♪」

毎週水曜日25時からTOKYO MX、BS11、関西テレビにて放送とかしないです全然

いや待て落ち着け音楽でも聞こう「私が私を見つめてました♪なんで?なんで?」え??何??怖い怖い怖い怖い怖い怖い

警告

本記事はフィクションであり、実際の出来事との類似は全くの偶然です。

この記事では薬物に関する様々な視点を描いているかもしれませんが、これらの描写は純粋に芸術的探究の為の物であり、薬物の使用や反社会的活動を推奨する物ではありません。

 

好奇心

とにかく、知らない物は試してみよう!

そんな好奇心に唆されて、Twitterで売人を調べてると合法LSDを取り扱ってる人を発見。””業界””では一般常識の方法でやり取りをしてなんとか購入した。

3回分で10000円と少し、少し高いようにも感じるけどコンタックメジコンの三回分に比べたら遥かに安い。

 

最初は(そもそも届くのかなあ・・・)なんて考えていたけど、その紙は予想に反して、お金を振り込んだ翌日に届いた。合法紙で詐欺るぐらいなら、オリジナルで詐欺った方が警察にチクられにくいしリターンも...とか考えながらビリビリ封筒を破くと、マトリョーシカみたいに更に小さい封筒が入ってた。その封筒を開けると、小さいビニールジップの中にアルミに包まれた合法のソレがあった。早速150μmの紙を舌に乗っけて...とはならなかった。なんか怖いし...。

 

数日ぐらい色々調べた末、知識とちょっとした勇気を得て決行する事にした。

でもやっぱり実物を目にすると怖い...。ウジウジしていても仕方ないので、八分の一ぐらいを僅かに切り落として、残った紙を舌に置く。

 

舌に置いて、「空の境界」(俯瞰風景)を見て1時間が経った。最後の橙子さんが「今日は飛べなかったのだろう」と呟くシーンがたまらなくカッコよく見えた。

Twitterで感想をツイートしたくなってきたので溢れ出る感想とか思いを勢いに任せてツイートした。途中で時間が遅くなっている事と、自分の視界がマイスリーみたいに曲がってる事に気がついた。体感10数分だけTwitterをしていたけど、2時間ぐらい型月への「「愛」」をツイートしていた。

 

次に同じく空の境界の「伽藍の洞」編を視聴した。今まで見た映画の中で一番没頭できた。子供の頃に熱中してゲームをやっていた時みたいな、自分とスクリーン以外に何も存在しない錯覚に襲われる。登場人物の発言ひとつひとつが美しい聖歌のように聞こえ、映像が、特に「 」の描写などは思考を挟まずに脳に直接入ってきて全てが楽しい。

 

しかし。。。

このシーンです

同作の劇中には黒桐幹也が「Singin' in the Rain」を歌う場面がある、その事を知らなかった俺は、彼がその歌を歌い始めた時、強い衝撃と共に「え??なんで歌ってるんだ??え??いや黒桐がこれを歌うはずが無いだろ???俺が見ている映画は"本物"なのか???いや、飲み込まれすぎた!!!!!!うわあああああああああああ」と無意識の間に信頼していた視覚、聴覚、嗅覚、味覚への信頼がガラガラと音を立てて崩れて行く。統合失調症とかBPDってこんな世界で生きてるのか、そりゃ気が触れるか...みたいな感想を抱いた。

 

画面に書いてある情報が信用できなくなって反射的に映画を再生してるメディアプレイヤーのタブを閉じてモニターから離れる。

 

若干パニックになっている中、ふと自分だけが加速して世界の方が遅れているような感覚に気付いた。時間の進み方がが異常な程遅く、全てのアニメとか映画の再生が遅れいてるようなそんな具合。

これがあと数時間続く事に絶望する傍ら「え、これが紙で得られる"悟り"なの?嘘だ、こんな孤独で無価値な物はーーーいらない!!!」と叫びそうになった、直前まで見てた空の境界の影響もデカい、完全に中学二年生でつね。。。

 

当時の気持ち

目まぐるしく感覚、感情、思考が変化していく中で、自分を落ち着ける為にAppleMusicで音楽を聞いてみる。

 

月リメのメインテーマがやたら立体的に聞こえて美しかったが、未だに自身の感覚への不信感が拭えなくて、途中で聞くのをやめてしまった。

ノーポイッ!は歌声がいつもより耳に響いてきて心地よかった。歌詞が元々好きで、漠然と「正しい...」と実感していたら曲が終わっていて、次の曲が自動で再生されていた。これがよくなかった。ごちうさ繋がりでDaydream caféが再生されたんだけど、「私が私を見つめてました♪なんで?なんで?」と歌っているところでえ??何??怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いと訴える感情の奔流に呑まれて軽いバッドトリップに入りそうになってしまった(今思い返してみると、まさに軽いバッドだったかもしれない)

問題の歌詞

積んでいた「魔法使いの夜」をやってみる。マイスリーをやってた時期があったので、文字がまがった状態で文字を読むことには慣れていたけど、やはり先程も述べたような感覚への不信感、自分が”視ている”ものは眼から脳へと伝えられた電気信号ではなく、経験や記憶を基に構成された嘘の画面じゃないか?という恐怖のせいで全く集中できず、パソコンから離れた。

 

その後の事は上手く説明できる自信が無い。”自分”が世界から切り離される恐怖、自分がこの濁流に呑まれて消えてしまうのでは無いかという恐怖が常に頭にあった。紙の1/8を切り落としていた事が幸いして、そこまでのバッドトリップにはならなった。あと机にエチゾラムが置いてあったのもデカい、「もっとヤバくなったらこれ飲もう!」という安心感だけで何とか正気を保つ事ができた。

 

自分が曖昧になりつつある中で、指を齧りながら痛覚を実感する事でかろうじて実存を確認して自分が崩れるのを防いでいた。自分の部屋だけが宇宙で、宇宙の外(部屋の外)と、宇宙に自分しかいない事が不安だった。その時にただ「この俺しかいない部屋が宇宙だとして、自分の存在は誰が担保してくれるんだろう。。。」と思案していたら、脳内の断片的なキリスト教の知識が無駄のない編み物のように織り上げられて「ーーーああ、そういう事だったのか。」と神の存在を確信すると同時に、この知識まで導いてくれた万物の因果律に感謝した。

 

ふと気が付くと部屋の外からガタガタと足音や物音が聞こえてきて、親が起きた事に気付いた。「流石にこの状態で部屋を見られたら不味い」という事は薬が入っていてもわかったので、エチゾラムを飲んで強制終了。

何事もなかったかのように、部屋から出て、窓の外を見てみると、まだ抜けきってなかったのもあって、朝焼けと鳥のさえずりがひたすら尊かった。

 

お腹が空いたので冷蔵庫を漁ってリンゴを食べた。普段より味の情報量が多くて処理しきれない...。逆にモンエナやグミなんかは丁度いい情報量で、普段より美味しく感じた。

 

ここまで長々と書いたけど、要は「紙食いながら空の境界見てたら気分悪くなったけど、神の存在を確信してからめっちゃ楽になった」ぐらいの話。(これでもかなり端折った方)

 

自分がマイスリーで似たような物を見たことあるから言えるのかもしれないけど、正直「そんな規制される程のものかなあ。。。」という感じだった。気になるなら一回ぐらいやっても良いんじゃないかなというのが素直な所感。

 

 

 

結局何が言いたいの?

空の境界、シラフの方が面白いのでオススメです。

 

 

 

 

おしまい。